さんざん辞めなかった学校、でも会社はあっさり辞めた話

「会社に辞表を出すのはどのくらい怖いか?」等の体験談を綴っていますので、
興味がある場合は読んで下さい。

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俺はN◯◯データを半年程で辞めた。


N◯◯データの同期は600人、
うちの研修クラスは確か40人程いたけど、このクラスの中の一人目、最速だった。


というか、2012年の冬に研修のクラスメートと久しぶりに話したところでは、
3年経った今でも辞めたのは俺一人とか。


●会社に辞表を出すのはどのくらい怖いか?

ちょっと脇道にそれるけど、会社に辞表を出す際の話をしようと思う。


毎日毎日通う会社、給料をくれる会社、
というか自分が来るのを当たり前と思って、
ちょっと上司のプレッシャー・叱責とか仕事のミスとかの
ストレスある仕事が9割で、
同僚や先輩社員とのふとした仲の良い時間が楽しみな1割、
他の人にとってどうだか分からないけど、俺にとって会社とはそういう、
ごくありふれた普通の就業場所だった。


大森から品川の駅直結のビルまで確か30分程、
9時に遅刻しないように行って、12時には社食で食べて、
友人やら、たまに携帯で時間を潰しつつコンビニで少しものを買って
(隣の席の先輩は社食以外でコーヒーと水と栄養ドリンクと駄菓子と、
毎日1000円以上コンビニで使ってて少しびっくりした。
給料良かったんだろう。)


18時ぴったりか、遅くても18時20分には帰らされる(残業禁止)。


俺の仕事は5年程先まで見えていて、5年経つとだいたい主任とかになって、
うまくいけば8-10年程で課長補佐、
この時代が一番厳しくて残業も給料も多く、
うまく出世すると12年-16年程で課長になれるというのがコースだった
(ように見えた。僕の学歴の場合で)。


僕は言われたとおり9時に出社して、18時まで仕事をこなして帰った。


仕事は飲み会幹事の用事とか、ゴミ捨てとか、文房具入れ替えとか、
雑用の仕事も結構あった。


それから会議の議事録取りというのもあった。


メーラーはOutlookで旧時代のものだった。


会議体のメルアドを抽出するのも、前回の議事録配布の際に
使ったメルアド配信履歴から、コピペーして使うというものだった。


最初は1通目のメール送付の経験が無かったから、
先輩社員に「会議体のメルアドを貰う」作業から入った。


名前と顔が一致しないから、社内で顔を売りつつ
会議の列に並ぶ社員の名前と顔を一致させようと奮闘した。


メルアドをもらってから登録して、送付前にメルアドチェックをしてもらった。


氏名の表示欄が空欄で名前が登録されなかったり、
その人は会議体から一時的に離脱してる人とか、
別の部署に異動になった人のメルアドとかがあって、
チェックに1時間以上かかった。


次の会議でもその会議体のリストが最新か分からなかったから、
チェックにチェックを重ねていた。


他にも、会議には形式があって、
長年その部署で通用しているコミュニケーションのスタイルみたいなのがあって、
それが分からないと会議の内容そのものが意味不明だった。


他にも名前の並び順は偉い人順とか、いろいろあった。


OJTで「この伝統的会議の参加者のメルアドの一覧の正しい抽出の仕方」
を把握するのに2週間以上かかっても完璧にならず、不安が残った。


しかも、毎回のコピペー作業とチェック作業に、
慣れた先輩でも数分以上を要していた。


たかがメール1通出すのに、無駄な作業だと思った。


会議に議事録取る要員が要るのはともかく、
議事録管理・送付・共有に時間かかりすぎる仕組みだと思った。


学生時代にやっていた学生団体のメルマガ運営の方がスムーズだった。


何で「メルアド一覧」が暗黙知になっているのかが分からなかった。


Yahoo!メルマガだって、
「このリストを選んで、こうして、こう。」
とかってもっと簡単に送付できた。


まぁその作業はまだかなり生産的だった。
他には、雑用系の仕事と、顔を売る系の仕事(飲み会幹事とか)が多かった。


飲み会がやたら多かった。


飲み会の調整している間に、「企画部」に顔を出す事が多かった。


企画部の部長(?)というそのおっさんは、やたらと偉そうだった。


調整お願いしますというと、なかなか動いてくれない人だった。


社内力学というやつを知った。


でも、この会社は基本的に性格良い人が多く、
頑固だったり偉そうだったりするけど、
最終的にはやることはやってくれた。


調整の時間は無駄だと思えたけど。まぁ組織とはこんなもんかもしれない。


僕が驚いたのは、「企画部」という部署そのものの存在だ。


そこでは、社内イベントの管理とか、
予算編成とか、メールの配布・告知とか、そういうのを連携していた、
いわば超飲み会幹事部という感じだった
(一応その部署の名誉のために言うと、社内の表彰式とか
精進イベントとかも扱うので、決して不要な部署では無かったと思う)。


巨大な組織というのはどこまでも住み分けできていた。


俺達の仕事はプロジェクト・マネジメントと言った。


簡単に言えば、お客さんから回ってきた仕事をこなせるよう、
プロジェクトを小分けにして、同フロアの子会社に投げたりとか
テストを依頼したりとか、そういう役割だった
(うちの会社のスタッフはたいていがそれに所属する)。


プログラミングは研修があったけど、知らなくても大丈夫だった。


むしろ文系の学生がばんばん内定していた。


工学部の学生もいたけど、早慶の文系学生とかが一番多かった。


俺のメインの仕事は、開発フェーズがテストということもあって、
デバッグだった。


先輩(と言っても1000人くらいが8年とか関わって作った。


俺に取っては中身自体は完全にブラックボックス)が作った端末を叩き、
結果が問題ない事を知る事だった。


検査している項目は、例えば4000とかあって、
先輩社員は一日10とか20とかテストしていった。


俺は慣れないから、一日5とかだった。


これを速くするのが、とりあえずの俺の仕事(?)っぽかった。


それで、叩いているうちに、叩き方には当然だけど、パターンと、
レスポンスの種類も数種類に分類できる事がわかった。


そして、叩くとは要するにある数字を入れて、
ある結果を得てそれをテストするというものだった。


なぜか、端末を手で叩いてテストしているけど、
要はデータを入れて、結果を取るだけじゃないか。


自動化できそうである。


学生時代にかじったVBAで、早速自動化を試みた。


どうしてもクリックできない要素はマウス作業で場所を指定してクリック、
どんどん数字を入れて結果を得るというプログラム。


入れるデータと結果は、エクセルに1行で収まるようにして、
結果を取ろうと思った。


これで、入力するデータを揃えておけば、スイッチをぽちっと押すと
夜中に数百件のテストを自動で行なってくれるという代物だった。


俺が大学の卒論でやった改善とだいたい一緒だった。


人間が決めなければならない事以外は全部自動化する。


というか、起業した後の検索ツールとか出品ツールも同じ発想だった。


何故か人間は繰り返しの作業を自分でやろうとする。そこを自動化する。


俺の目論見では、このツールが出来た際に得られるメリットは3つだった。


1)今までは
「試験項目表&指示書作成担当」と「試験担当」がいたけど、
これからは「試験項目表」だけ作ればあとは自動で良かった


2)これによって、テストに必要な人員が1/3以下で、
テストの開発スピードは上昇(テストする時間が0なので)になるはずだった
(現状何人関わってただろう・・・数十人?)


3)人為的ミスが、プログラムが想定するテストの範囲では0になるはずだった
(想定外のテストには結果にそう書いておけば後で手動チェックもできる)


ツール作成にかかる時間は、1ヶ月はかかりそうだった。


課長に「こういうツールを作っていいですか?」と聞いた。


「うん、いいよ。」と言ってくれた。


早速取り掛かった。


自分のテストのノルマとかあったから、
17時くらいまでは自分の作業して、何とか終わらせた後
残業しつつでプログラムを作った。


出だしはまぁまぁの進捗だった。


しかし、
3日目くらいに18時40分にデバッグルームに篭って作業をしていると、
先輩が「お前残業申請通ったの?!残っちゃダメだよ」とかって怒られた。


新人は残業厳禁だった。


仕方なしに帰った。


数日考えて、朝早く来る作戦に切り替えた。


朝始発で行って、こっそり開発して、何食わぬ顔して始業して定時に帰った。


当初は順調だった。


3日目くらいの朝7時、
ワーキングマザーでタイムシフト勤務している女性が出社してきた。


「あ、加藤くん、おはよう。偉いね、朝早くて!」


昼休みに課長に呼び出された。


「お前朝来て作業してるの?ダメだよ、朝早く来過ぎたら。」と諌められた。


うむ。


辞めよう。


他にもいろいろ理由はあったけど、特にこの会社に居続ける理由は無かった。


●辞表を出す瞬間

やることが無くなった俺が辞めると決断するまでには2日程。


昼休みに友達と飯を食って辞める事を伝えた。


「えっ?考え直せ」みたいな感じだった。


決意は固い事を伝えた。


「退屈やった?」と聞かれた。
「うーん・・・そうかも。」みたいに返事したと思う。


この2日間は最も会社でつまらない瞬間となった。


会社の廊下の端に、俺がキライなタバコを吸う場所があった。


そこでは先輩が会社の隅で毎日馬車馬みたく働いて、
ちょっとしたスキマ時間を見つけてタバコを吸いに来ていた。


何が楽しみで生きてるんだろうと思っていた。


俺はタバコは吸わないからそこには入らず、
アテもなくぷらぷらとそこらへんを歩いた。


通路を歩いていると、俺が良くコピーを取ったトナーのダンボールが
積み重なっている場所に来た。


夕方だったのでそろそろ小休憩も終わりで、
少ししたらデスクに帰らなければならなかった。


特にすることもないから、そのダンボールの表面を何となく手で触って、
あ、このダンボール俺が片してた(片付けてた)んだなとか思った。


多分4~5分だろうか?


永遠の時間が経ったようだった。


タバコを吸う部屋の横には眼下にビル群と品川の新幹線が見えた。


ぼーっと見ながら、俺ここでなにしてんだろーとか思った覚えがある。


辞表を出すと、まるで「お前気でも触れた?」みたいな目で見られた。


ただ、新人ということもあって「そういう人なのか・・」みたいな感じもあった。


先輩インタビュー、課長インタビュー、部長インタビュー、
そして何と事業部長インタビューまであった。


先輩社員に迷惑がかからないように、自分の意思で辞める事だけ強調しておいた。
(それでも課長にとっては迷惑だっただろうけど)。


出した後は2週間~3週間程で辞めた。


特に引き継ぎも不要だった(先輩が分かる範囲だった)。


ただ、僕が作った別のツール(こちらは完成してそこそこ活躍していた)は、
先輩社員が社内の成果発表で自分のツールとして発表したいとかで
「ぜひくれ」と言われた。


特に要らないから、あげた。


●退社手続きまで

辞表出して辞めるまで3週間、気まずいことこの上無かった。


が・・・


「自分で期限を決めてしまえば、辛かろうが、時間は勝手に経つ」


時間は本当は無限では無いのだ。


とにかく、辞表を出せば、辞める瞬間というのは来るのだ。


怖いけど。


一歩踏み出せば、結果は必ず出るのだ。


今思えば、この3週間、いやこの3週間+その後の生活というものが怖くて、
一歩を踏み出せない。


辞表を出してからの俺の生活を紹介しよう。


◯辞表を出してから
(*は先行き不安な時期。*が多いほど気まずい。♪は楽しい時期。)
***3週間・・・辞めるまでかかった時間
*その後2週間・・・身辺整理+大阪のとある場所に引越し
その後2週間・・・職探し(新聞配達+塾講師)


♪その後1ヶ月ちょっと・・・キャッシュフローがプラス
(生活費+αを稼げるようになる)


♪♪その後1年ちょっと・・・起業資金が貯まる


振り返ると、辛いのは5週間ほど。


辞めてしまえば、意外に「気がラク」になったのを覚えている。


うん。


気まずいのは、新天地で新たな門出をするまでなんだな。


脱サラ後、新聞配達をしていたと何か苦労人みたいに見られるけど、
俺は新聞配達は時給が高いし自由に勉強できるから好きだし、
塾講師も教育やりたかったから夢の職業。


時間が無くてなかなか挑戦できなかった夢の職業に、
堂々とトライする機会があって結構幸せだった。


ただ、その先も考えていたから、
幸せで終わりとかそんなんじゃなくていろいろ練習したり
準備したりしたけど・・。


何にも縛られず、ただ新聞配って好きなことしてたら
知識も自由も得られたこの1年ちょっとは、結構幸せだった。


少なくともサラリーマン時代よりははるかにやりがいを感じていた。


前進している確かな実感があったからだ。


●学校はさんざん辞めなかったけどあっさり会社を辞めた理由

学校を辞めたかった。


理由はざっと思い浮かべると5つあるけど、
例えばテニスに専念したいと願った時や、留学したかった時など。


「実現手段を見つけるまでは、辞めない」。


ルールだ。見つからなかったから、辞めなかった。


実現手段というより、「メシを食う手段」と言った方が良い。


メシを食う手段としてそれでは弱いのである。


で、N◯◯データはあっさりだった。


特に躊躇も後悔も無いし、別に感慨深いものも何もない。


それは、学生時代にバイトしていたからかもしれない。


特に「それに戻る」という感じで、何も無い。


大事なのは、「何者かになってやる」という決意で、
この[何者か]は特に決まっていなくても良い。


ただ、何をやるかは決めておいた方が良い。
うん。


僕にとって学歴は手段なので、特に学歴を無駄にしたとかは無い。


やりたいことをやるだけだ。


学校を出て良かったかというと、実力が付いたので良かった。


今思えばVBAとか、学生団体とか、他の人がやらない
一見無駄な活動が起業に全部活きた気がする。


そういうのの延長上に何か道を作る。


で、手段としては当初思いもよらないような、
即金性と確実性の高いものを選んだ訳だけど、
今会社を作って、
結局学生時代や社会人の時代と似たような事をやろうとしている。


要するに、自分しかできないようなシステムを作っているんである。


何をしていても、自分の趣向や方向性というものは出るものだ。


だから、特に心配せず最初は起業手段にこだわらなくても良いと思う。


学校をさんざん辞めなかった理由は、それでは食えないからだ。


会社を辞めた理由は、学生時代にいろいろ経験したからだ。


過去の経験の延長上に物を造れ。


経験が無ければ知識をつけろ。


その想像の範疇に未来があると思えば、辞めろ。


会社を辞めようか辞めまいか悩むんじゃない。


まずは持てる力を全てそこにかけてみろ。


つまり、知識の獲得。


会社を「辞めるほうが良いか辞めないほうが良いか」なんて答えは出ない。


どっちに進んでもデメリットはある。


それより、
「既に持ちうる時間の全てを知識の獲得に費やしているか?」というのが重要。


それでもたまらず情熱がはちきれんばかりだと、きっとうまくいく。


でも、知識というのは、経験に次いで起業に役立つものなのに、
辞めるかどうか考えているのにまだ行動にしていないというのは、
少しおかしい。


たぶん、現実がダメなだけかもしれない。


いろいろな物事の教訓として、
「今がダメだからと言って、それを避けた選択肢は、プラス、ではない。
結局ダメなパターンの方が多い」だ。


つまり、ダメの反対は良い、ではない。


ダメを止めても反対方向に行くとは限らない。


「ダメを止めると、ダメ以外の何物かが手に入る。
それはダメの可能性も大いにある」
的な感じだ。


だから、ダメを止める前に、俺が高校を辞める前に、大学を辞める前に、
全部をそれに賭けてみる。


持ってるチップを全部そこに突っ込んでみる。


残業もしてみる。早朝にも来てみる。


それでもダメならあっさりと辞めろ。


但し、メシが食えるかは考えておけよ。
(俺の場合は新聞配達と塾講師)。


次は「起業した時の話」みたいなものでも書こうかな。
リクエストがあれば、そのうち・・

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あの日、辞表を叩き付けていなければ、僕の人生は間違いなく平凡なサラリーマンとして終わっていたでしょう。
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