・京都大学経営管理大学院経営管理専攻事業創再生マネジメントコース終了 MBA取得
・(株)NTTデータ 第一公共事業本部 第二公共システム事業部 勤務後、独立
2020年5月、テレビ番組で僕が経営している「次世代起業家・経営者アカデミー」が15分間特集されました。
【社長のホンネ研究所 #006】
日本最大規模の起業スクールを運営する マーケティングコンサルタンツ株式会社
某芸能人などが取材を受ける有名WEBメディアにて、独占取材を受けました。

加藤将太プロフィール(略歴)
誕生~高校生時代
0歳、清閑寺家(※)の末裔として東京に生まれる
※父方の曽祖父。藤原北家 勧修寺流の公家で、十三名家の一つ。爵位は伯爵。
現在、華族制度は現在廃止されていますので、育つ上での実感は当然ですがありませんでした。
※父は、父の祖父からその精神面(元・公家であることの態度と精神に関する責任)を厳しく躾けられたらしく、そのせいか、僕は父には勉強しろとか、良い大学に行けと言われた記憶は全くありませんが、精神性に関する正しさは、口やかましく教育されたように思います。
※その影響か、僕は6歳で世界人口がこのまま増えたら成り立たなくなる、どうしようと悩み、10歳で世界の戦争を心配し、18歳頃、日本の教育を良くするという現実的に影響力を与えられる目標にようやく辿り着きましたが、それまではアイデンティティに悩んだものです。
その手段としてMBAを経て経営者を目指す訳ですが、MBAに進学した当時父には「アメリカの資本主義の奴隷に成り下がるのか」と怒られたものです(父は戦争経験世代です)。今は、行動の理由が説明できるので仲は良いですが、当時は情熱しか無かったため、選択の正当性を説明するのは難しかったのです。
2歳、兵庫県西宮市に引っ越してくる
11歳、塾に行かずに全国模試でTOP10に入る。
塾の楽しさを知るが、家計の節約のため塾は2ヶ月で辞め公立中学へ進学する。
※その後、人に勧められて受けたMENSA試験に合格する。
15歳、エンジニアだった父に触発されて入学した高専(※)で硬式テニスと出会う。
※勘違いされる方も多いのですが、高専は工業高校ではなく、高校でも、短大でも、大学でもなく、”高専”という一つの教育機関の名称です。
17歳、硬式テニス朝日新聞杯ベスト8
やればやっただけ結果が返ってくる世界にハマり、早朝の新聞配達と土日のアルバイトで月に12万円稼ぎながら毎日6時間の 練習をこなし、テニス未経験から1年で2003年朝日新聞杯ベスト8に入るも、次のインターハイランカーに0ゲームで敗退、壁を実感。
毎月30万円親に援助してもらって練習しているライバル達との環境格差から、差は埋められないと感じたこともあり、唯一平等な上達環境があると感じた勉強の世界にのめり込み、留学を目指すことになる。
この頃から平等な環境とチャンスが人の成長と希望を促すという実体験から、平等な教育環境の実現が夢になっていく。
17歳、独自の英語勉強法でTOEIC660を取得、
引き続きTOEFL得点率90%を目標に立てるが、金銭的な事情で留学は断念。
大学院から留学する作戦を立て、 留学する為に必要な学歴と、激しいテニス練習環境が両立できる京都大学(当時関西学生2部リーグ)を目指す。
大学生(大学院)時代
19歳、神戸高専でTOEIC850点を獲得。
クラスメート全員が不可能と思う中、京都大学工学部に合格(神戸高専同学科から合格は創立以来初(※))。
※当時の神戸高専の担任教師談
尚、高専卒業生約1万人中、京都大学と東京大学には毎年合わせて40~50名程しか 合格せず、その進学率は全体の0.5%以下と珍しく、情報も少なかった。このような情報不足の中、道を切り拓く術はこのあたりで学びました。
また、「情報を揃え、やる気を出して取り組めば誰でも道は拓ける」という信念の形成と教育へのより深い情熱をこの経験からも深めることになります。
なお、最終的にTOEICは900点以上を取得しました。その経験から、最短で英語をマスターする方法をまとめたPDFを公開しておきます。
20歳、UCバークレーに短期留学。憧れだった留学を果たす。
しかし、同時期に京都大学への自宅からの往復4時間の通学、編入生への差別と厳しい単位認定(年間70単位取得、教職も取得しようと単位を揃えたが、留年無しでインターンに行く時間が取れず免許の取得までは至らず)、年100~200万円稼ぐアルバイトの継続、 テニス環境の挫折(時間を確保できず)、思っていたのとは違う先輩や単調な研究生活などの 生活パターンが相まって、自分は留学ではなく冒険が目的だったと気づき、当面の目的を留学から経営に設定(最終目標が教育であることは変わらず)する。
21歳、ベトナム人とベトナムにITをアウトソーシングする
ベトナム人とベトナムにITをアウトソーシングするベンチャー立ち上げを試みるは知識不足から挫折(1つ目の起業)。
目標を小さくして過去問を売るサイトを立ち上げて起動に乗せる(その後、後輩に経営を任せ、年50万円程の不労所得化に成功)。
22歳、1ヶ月の勉強で京都大学MBA(経営管理大学院)に合格。
今までの一応の総復習として、3日間の勉強で、京都大学工学部の大学院にもダブル合格。
大学院では学生団体を作り、 同級生15人の協力を得て、述べ500名に就活を指導。京都大学の中でも、外資系コンサル・金融・総合商社等、いわゆる難関就職先へ多数の合格者を輩出。
尚、この時主催していた練習会に企業を呼んだところ、協賛金が得られたことから、 これを事業化すれば年商数億円の売り上げになる事を考えたが「人生をかける程の事業ではない」と感じ、一度就職することにしました。
24歳で予定通り京都大学大学院を卒業し、(株)NTTデータに就職。
本当は、世界的コンサルティング会社マッキンゼーまたは ボストンコンサルティンググループの内定を狙っていましたが、小規模ファームからの内定しか取れませんでした。
リーマン・ショック(2008年)後の業界再編から小規模ファームの 吸収合併が相次いでいたこともあって、巻き込まれるリスクを避けて、(株)NTTデータに一旦就職して、第二新卒でコンサルを狙う予定でした。
会社員~起業するまで・・・
24歳、(株)NTTデータを退職。
大手の事業会社では、残業も思うようにできず、自分の力を試すことができないサラリーマン生活に見切りをつけ「自分のやりたい事でできることをやろう。」と考え退職。
本当は「事業会社の力学を学んでから → コンサルで経営を学ぶ → 経営で影響力を付ける → 教育を変える」ことを予定していましたが、その全てのプロセスをすっ飛ばして教育を変える活動を始める。
24歳、関西の大手中学受験塾の希学園に算数科非常勤講師として入社。
1000人受験して、1年以内に正講師になれるのは40人(25人に一人)と言われる状況下で、独自の上達理論により、5週間(1年の10分の1の時間)で正講師に昇格。算数科講師において創立20年来初の快挙となる。
講師の能力を要素として分解すると、「ラジオのようにしゃべること」、「綺麗な板書をすること」「生徒と対話すること」であり、これら能力を別々に鍛えました。
具体的には、
・板書:直線、円、文字を1日8時間練習
・しゃべり:名物講師のDVD音声を全て書き起こし暗唱
・生徒との対話:週に1度だけテスト監督として練習
をしました。
これらを練習することで、名物講師と全く同じ授業の再現を目指しました。この経験から、与えられた環境を鵜呑みにするのではなく、自分なりの上達理論を作って実践するべきと再認識することになりました。
その事を話した音声が下記です。
↓↓↓
●最短最速の成長法 1_技能の分解と個別習得(8分)
起業(独立)
25歳、日本最高の算数科講師になっても、日本の教育は変わらないと気づき、影響力を身につけるために経営を開始(起業)。
最初の事業は、全国制覇というゴールが見えた転売事業(後に買取事業もおこなう)を始めました。
26歳、創業初月で3名を雇い、1年で延べ1,000名以上を面接し社員43人の企業に成長。
27歳、創業1年目で1.1億の売上を達成。
1年2ヶ月後の2013年3月、Amazon法人部門月間売上高2位(4583万円)を達成。
日本の中古書籍の買取価格相場を3倍にする事を目的に店舗展開を目指す。その足掛かりとして、金券ショップなどへ古本買取代理店を5店舗開拓し、年商1,000万規模まで育てる。
2013年4月、Amazonより、倉庫の設立計画が変わったので17万冊あった在庫を削減するように指示を受ける
年初にAmazonの担当(スーパーバイザー)に確認した際には問題なかったが、わずか2、3ヶ月で、大手の都合で経営計画を変えざるを得なくなるという危険性から、インターネットによるノウハウ付システムの貸し出し販売(ASP事業)に変更する。
買取店の全国展開は、仮説はあったが事業モデルがはっきりせず、また問題が起こった際の解決策の制定も不十分であった為、1日で脳内成功させられない事業はうまくいかない、という感覚が形成されました。
28歳、その年の年商はほどんど落とさず辛くも事業転換に成功
ASP(アプリケーションサービスプロバイダ)で利益を得るITベンチャーになる。
自社で開発したシステムを使ってくれているユーザを成功させてあげたいという想いから、自社のシステムを使って独立(起業)する方法を解説したセミナーを開催。加藤将太がおこなう初のセミナーにも関わらず、100名以上の参加者を集める。
28~29歳、MBAとコンサルを目指す中で培った経営、構造化の力と起業経験を組み合わせたセミナー「次世代起業家育成セミナー」をシリーズで開催。
派手な広告宣伝は一切おこなわず、それまで自社(自分)に魅力を感じてくれた方々のみに対する集客だけで、累計3,000人を集めることに成功。1年で8,000万円を売り上げる。

32歳、ウェブマーケティングにおいて日本一を達成(※)
※約3,000名のリストに対して、5.4億円の売上をあげ、リスト単価16万円となる
33歳、次世代起業家・経営者育成アカデミーを開講
今まで、サポートをしてきたコンサル生が起業・独立し、その成果が出始めたこと。また、多くの生徒が参加してもサポートできる仕組みが完成したこともあり、今まで人数制限をしていたコンサル及び、コンテンツの販売を再開。
これを契機に「次世代起業家・経営者育成アカデミー」として開講。また、以前から付き合いのあった、ドクターシーラボの元社長である池本克之氏に学長に就任してもらう。
34歳、次世代起業家・経営者育成アカデミーの会員が2,800名を超える
次世代起業家・経営者育成アカデミーに参加している有料会員が2,800名を突破。無料会員を合わせると、2万名以上の人数が参加する日本有数の規模を誇るオンライン・ビジネススクールに成長する。
現在も、数社の会社を経営、マーケティングツールを開発するなど精力的に活動中です!
下記は、30歳当時の映像で「会社経営で苦労した点」「何故、起業をしたのか?」など、インタビューされた時のものです。
僕がこのブログで伝えたいこと
僕が今まで経験してきたこと、その時に参考になった事や気が付いたこと、そういった内容をつぶやいて、それを読んでくれた人が、ちょっと成長してくれれば嬉しいです。
社会にとって必要な行動を取ることで 世界がほんのちょっとだけ好転したり、その人の人生がちょっとだけ好転するきっかけになったり、あるいは本気で経営者を目指す人の具体的な知識や気付きになったり。
そういう支援をささやかながら、このブログを通じてできたらと思ってます。
今まで、僕がセミナーをしてきた映像や、コンテンツなども一部公開しているので、こちらもご覧ください。
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